我が家にとって初めての猫です。
出会い
平成9年(1997年)10月の少し肌寒い朝でした。アパートのガラス戸を開けたら、ベランダに積んである段ボールから、「ゴソゴソッ」と音がします。驚いて見ていると、なんと猫が出てきて私の方に小走りで寄ってきます。思わずガラス戸を閉めて「どうしよう」と考え、差し当たって何か食べ物をと思い、冷蔵庫を開けました。すぐに食べられるものをと思い、生卵とかまぼこを与えたところ、喜んで食べてくれました。
実は、この子とは1週間位前に近所のコンビニのローソンで出会っています。夕暮れ時でしたが、眼が潤んで可愛かったので、「おまえ、可愛いね」と頭を撫でてあげました。多分、私の家族になろうと想って私の前に現れたんだと思います。
ありふれた名前ですけれど「ミー」と名付けました。首輪を付けていましたので、家猫だったのは間違いありません。名前もあったのでしょうが、ミーという名前にすぐ慣れてくれました。
ミーの特徴
薄暗いところにいると、ミーの眼は、潤んで、ものすごく可愛い眼になります。
頭がまん丸でした。なんでこんなに丸いのかと調べたところ、頭毛が剛毛で立っていることと、この頭毛がピッタシ球を描いていたのです。頭頂の毛は長く、首元の毛は短くなっていて、球を描いていたのです。
口を開けたときに、ものすごく大きく開くことです。猫ってこんなに大きく口が開くんだとびっくり。8匹の中で1番です。
ミーとの生活
初めての猫との生活は大変おもしろいものでした。
夕方、私が帰宅すると、何気ない素振りで私の後についてきます。部屋の鍵を開けるときには、私の足下に来ていて、鍵を開けるのを見上げています。そして、ドアを開けると、一目散に部屋の中に入っていきました。アパートでしたので、昼間は外で過ごしてもらい、夜だけ部屋に入れていました。私が椅子に腰掛けると、膝の上に乗ってきます。ミーを抱えて足下に降ろすと、また乗ります。また降ろしても、また乗ってきます。精一杯、私にアピールしていたのでしょう。しかし、膝の上に乗ってきたのは、最初の2週間だけでした。猫の一面を見たような気がしました。もう、この家族の一員だと安心したのでしょう。それからは、ソファーに乗るようになりました。
アパートの敷地の真ん中で、三歳くらいの子供と座りこんで、向き合って遊んでいることもありました。子供に対して、遊んでやっているという感じで、なんとも、ほほえましい情景でした。猫と人間との距離感は、猫それぞれですが、「ミー」と「ぴょん」、「ゴローニャ」は、誰とでも仲良くなれたようです。
ミーの赤ちゃんたち
4月になり、少し暖かくなったなあと、感じ始めた頃、ミーが2階に行くのを見かけるようになりました。一階にある私の部屋の真上に行っている様子です。「何だろう?」と思い、2階に行ってみました。驚いたことに、2階の部屋のベランダのカゴに子猫が数頭入っていました。いつの間にかミーが子供を産んでいたのです。カゴの上には、傘が差されていました。2階の人の思いやりが嬉しかったのですが、「何で僕のところで産んでくれなかったのだろう?」と少し悲しい気分になったものです。
ミーが、私の部屋の押し入れに敷いていた新聞紙をグシャグシャにして丸め始めました。「何しているんだろう?」と、思っていると、土曜日の午後に、子猫を1頭ずつ咥えて、2階のベランダから私の部屋の押し入れまで連れてきました。そうです、子猫たちを連れてくるための準備をしていたのです。もうビックリするやら、嬉しいやら、感激しました。子猫たちはまだ眼が開いていない状態で、毛並みは5匹とも違っていました。「ふーん、ミーがお母さんになったのかあ」と不思議な気持ちになったものです。
そう言えば、2月頃、夜中に、部屋と外の出入りが激しかったのを思い出しました。あの頃がミーの恋愛時期だったのでしょう。
外から部屋に入る時、網戸を登り、ガラス戸をトントンと前足で叩きます。ミーと眼が合うと「これで、開けてくれるぞ」と思うらしく、下に降りて、ガラス戸が開くのを待ちます。じらして、開けないでいると又、登ります。その時のまん丸な眼が可愛くて仕方ありませんでした。
子猫たちとの楽しい生活が始まりました。固形物を食べ始める時期になると、さかんに動きだすようになりました。ごはんを出そうとすると騒ぎだすので、「コラッ!」と叱っていたら、「コラッ!」が、いつのまにかごはんの合図になってしまったようです。いつも私の部屋にいるのですが、私が廊下で、ドアの前に来ると、全員ドアのところまで来るのでしょう。ドアを開けると、一斉に飛び出してきて、廊下を滑るように走ります。可愛いさかりです。でも、日に日に大きく、元気になるにつれ、少しずつ不安が広がってきました。この子猫たちとをずっと生活していくわけにはいきません。
子猫たちの引越し先を探し始めました。まず、知り合いの女性が猫を欲しがっているというので、全員連れて行き、灰色の子猫を引き取ってもらうことができました。犬猫譲渡会で2匹引き取ってもらい、残りの2匹はミーと一緒に実家で生活することに。ですので、ミーとは平成15年(2003年)までの約5年間、一緒に暮らせませんでした。
子猫たちが草むらで遊んでいるとき、体長1メートルはある犬が、その草むらに入ったことがありました。その時のミーの行動が忘れられません。ミーも草むらに走っていき、犬に噛みついたのでしょう。犬が「キャン」と叫んで逃げて行きました。その後、ミーはゆっくり草むらから出できましたが、その悠然とした態度に母親の強さがにじみ出ていました。
2匹の子猫は1年経った頃に、新しい家族を探したようです。自然と見かけなくなりました。
子猫たちが生まれる前は、ミーを抱っこできたのですが、子猫たちの前ではミーを抱っこすることはできませんでした。抱っこすると嫌がり腕の中から出ようとします。子猫たちがいなくなったら、また抱っこできるようになりました。子猫たちの前では、人に甘えた姿を見せたくなかったのでしょう。
ミーとの新しい生活
5年の月日が流れました。平成15年(2003年)8月、家を購入したので、妻と母とミーとの生活が始まりました。7月初旬、家を観に来たとき、5匹の子猫たちが、庭を走りまわっていました。たぶん、その中の1匹が、後に登場する「ゴローニャ」だと思っています。
ミーを新居に連れてきて、サンルームで抱っこしていたら、急に暴れて外に出てしまいました。それから、毎朝、毎夕、探しましたが、見つかりません。2週間後、近所のアパートの駐車場で子供たちが集まっています。子供たちの真ん中に動物がいるような気配がしたもので、近寄ったらミーがいました。子供たちと遊んでいたのです。子供たちに事情を説明して、無事ミーを引き取ることができました。
母とミーは、5年間暮らしていたので、ミーの居場所は母の部屋です。冬場になると、ポットの上に乗って暖をとっていました。ミーの年齢はわかりませんが、かなりの年なのでしょう。アパートで暮らした頃に比べて、ずいぶん、おとなしくなっていました。
朝夕、子供たちの登下校の時間になると、門柱に登り、座ります。子供たちや散歩する方々から頭を撫でてもらっていました。学校が休みの日は、キョトンとした風情で道の左右を眺めていたものです。
この行動は、ゴローニャも同様です。
平成16年(2004年)10月、母が脳梗塞を再発して入院しました。その後、高齢者施設に入居します。その期間は約10年に及ぶことになります。母が家にいたときは、部屋のガラス戸を常時開けていて、ミーは自由に庭と家の中を行き来していました。母がいなくなって、猫のトイレを設置することに。
ミーは、その後外に出ることはなくなりました。
ミーとのお別れ
平成17年6月、ミーの体調が急に悪くなり、動物病院に入院することになりました。
ペット美容室で、トリミングを定期的に行っていました。この時もいつもの美容室に預けたのです。ところが、ミーの体から、イヤな臭いがするのです。美容室に事情を聞こうかとも思いました。しかし、なんの解決にもならないだろうと思い、なにも聞きませんでした。
入院して3日後の6月19日(日)の朝9時、動物病院から連絡があり、ミーが天に召されたことを知りました。
病院で、横たわっているミーを観たら、涙をこらえることはできません。一晩、母の部屋でミーに寄り添って過ごしました。朝、ミーの身体を触ったら、硬くなっていました。
翌日、ペット霊園で、荼毘に付しました。
ミーがいなくなって、家の中が、やたら広く感じるようになりました。外出するとき、ミーがどこにいるか確認して、その部屋のドアを開けておくこと、飲み水を用意すること、食事を用意すること、トイレの掃除をすること、その全てをする必要がなくなったことが、とても寂しいことでした。
帰宅して、最初にすることは、ミーを抱っこすることでした。それもできません。
あまりに寂しいので、6月25日(土)に、2匹目の猫の「前のチャピ」を譲り受けました。
ミーに対して、一つだけ後悔があります。入院する前に、夜中、寝ている私に甘えてきたことがありました。すごく眠たかったので、「臭い」と言って、相手にしませんでした。普段、そうしたことをするミーでは、なかったのです。もしかしたら、自分の死期を悟っていたのかも知れません。最後に甘えにきたのかも知れません。あの時、もう少し、やさしく接してあげていればなあと想います。
ミー、ありがとう。また逢いたいね。
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