ゴローニャの猫生の概略
ゴローニャの猫生の概略を記しますと
たぶん4月か5月に誕生
我が家の裏のお宅で暮らす(見たことはない)
勝手口に現れるようになる
我が家の庭で暮らすようになる
病気をきっかけに我が家で暮らすようになる
天に召される(享年20歳)
平成15年(2003年)7月、今の家を購入するため下見に訪れたとき、4,5匹の子猫が庭を走り回っていました。たぶんその中の1匹でしょう。平成23年(2011年)、我が家の庭で暮らし始めた頃、裏の奥さんが8歳だと教えてくれました。この子の瞳はいつも黒目で輝いています。目力があります。写真に写るときは、きちんとレンズを見て写ります。小さくてとても軽く、体重2.5kgくらいです。
勝手口に現れるようになる 平成23年(2011年)
換気をよくするため、勝手口の下を網戸にしています。台所に立っていると、勝手口の網戸越しに何か視線を感じます。そちらに目を向けると黒っぽい猫がいます。そして、必死に口角を上げています。声はでていません。ごはんをあげるとパクパク食べます。これが頻繁に起きるようになりました。声を出さない理由は飼い主さんに知られると気まずいと思ってのことでしょう。
そして、少しずつ庭に現れるようになりました。庭が南側で勝手口が北側です。ごはんも庭であげることが多くなりました。裏の奥さんが我が家に来られたときなど「いつもありがとうございます」と言われるので、妻と「何のことかな」と不思議がっていました。そのうち、奥さんから
「うちで、8年間飼っていた猫です」
と言われ驚いたしだいです。なぜならこの家に住み始めてから8年間一度も見たことがなかったからです。
道行く人々のアイドルに
すっかり我が家の庭で生活するようになりました。外は寒かろうと想い室内に入れると、パニックをおこし私に抱かれたままオシッコをしてしまい、アタフタと暴れるので室内で生活するのは無理と判断。屋外収納ボックスの中に段ボール箱を入れ毛布等を敷き猫小屋としました。眼がクリッとして、身体が小さく、とても軽い猫です。ずっと、外で暮らしているのに、臭いもしないし、毛もきれいで、眼とかもヤニとかなくきれいでした。冬になると体毛が増えて顔が毛むくじゃらになっていました。
ミーと同じように門柱の上に座り、道行く人々に頭を撫でられたり、抱っこされたりして悦に入っている様子です。道行く人々には簡単に抱っこされたりするのに、ごはんをあげている私が抱っこしようとすると逃げ回るのには苦笑いするしかありませんでした。
家の中で暮らす・・・療養生活 令和2年(2020年)11月16日
庭で生活するようになって、早9年。元気いっぱいで暮らしてきたゴローニャがヨタヨタと歩いています。動物病院で診てもらうと感染症にかかっているとのこと。病院から戻ってゴローニャを庭に置いたら頭上にカラスがいます。もしかしたら、弱っているゴローニャを狙っているのかと心配になり、彼女を抱きかかえ室中に入れました。9年前に室中に入れたときは激しく拒否反応を示したので不安です。令和2年(2020年)11月16日のことです。
よほど弱っていたのでしょう。室内に入れても嫌がりません。2階の私の部屋で暮らすようになりました。ベッドに枕を2つ並べて窓際の枕が彼女の寝床です。
この日から翌年の3月中旬までの4か月間枕の上で過ごすことになります。ごはんと排泄以外ずっと枕の上で静養していました。ゴローニャが門柱からいなくなってから、何人もの方から彼女の安否を聞かれました。道からゴローニャの姿が見えますので
「あそこで静養しています。」と説明しますと、
「早く元気になって出てきてほしいですね」
と言われます。しかし、室内が気に入ったのでしょう。外に出たいとの意思表示は最期までありませんでした。
薬はCHAOのちゅ~るの上にかけて服用させます。薬とちゅ~るの色が同じなのには「なるほどねー」。17年間屋外で暮らしていたので、トイレが困りました。緑色の毛布の上にします。ですからその毛布を4等分に切り洗濯しながら使用しました。すぐ近くに猫用のトイレは置いてあり猫砂も緑色の紙を使っていたのですが、そのトイレを使用するのに4カ月かかることになります。
枕の上での静養期間が4カ月になった頃、初めて私の部屋から退出。思わず「どこに行かれますか」と声をかけずにはいられませんでした。それと同時に排泄もきちんとトイレでするように。それからは天に召されるまで私たちを楽しませてくれました。
家の中で暮らす・・・晩年
基本、1階のリビングのソファーの上で生活していました。
夏は冷房をつけっぱなしにしていました。太陽光発電の買取価格が大幅にダウンしましたので、冷房を猫たちのために入れておこうとのことです。
寒い時期、天気の良い日はサンルームにいます。2階にもあがりますが気が向いたら上がるという感じです。
ごはんの食べ方がすごい。
妻が台所に立つとソワソワし始め、一番台所に近いソファーの端まで来て、妻を熱いまなざしで見つめます。眼を大きく見開き凝視します。そのあとソファーから降りて妻の足下まできて「早くくれ」のアピールです。妻が「まだっ」と言うとソファーに戻ります。
私たちの腕をはい登って口まで運んでいる食器の中の食べ物を食べようとします。おかずの皿をテーブルに置くと顔を突っ込んできます。こんな食べ方をする猫はいませんでした。じっとおかずを見ていて、こちらの隙をついて食べる猫はいましたが。
刺身、焼き魚、肉、大好物です。小さい体なのによく食べました。ただ、よく食べてはいましたけれど、背骨がくっきり現れるほどやせています。「あれっ、元気ないなあ」と思って病院に連れて行ったときの体重は1.5㎏でした。もともと軽い子でしたが、1年前の感染症のときでも2.3㎏ありました。
本当にバクバク食べていたんです。天に召される2週間くらい前でもきびなごを20匹くらい一度に食べていました。食べ過ぎではないかと思いましたが、「食べる、食べる」のアピールがすごいのでやらずにはいられませんでした。
もっと早く家の中に入れば良かったと思っていたんじゃないかなと思います。外に再び出ようとはしなかったですから。冷暖房がはいり、ベッド、布団、ソファーの上で生活できて幸せな最期の一年だったと思います。
最期 令和4年(2022年)3月5日(土)
令和4年(2022年)2月28日(月)
前日から食欲がなかったので、動物病院に連れて行きました。血液検査、点滴の後、流動食を食べさせてもらいました。火曜日、水曜日、金曜日と連れて行きましたが、あまり回復しません。
水曜日は妻、義母、義弟とで病院に行ってもらい義母はそのまま泊ってもらいました。いつも義母からやさしくしてもらっていたゴローニャは、体を動かすももつらいだろうに義母の元へ必死に近づいて、ダッコしてもらっていました。
金曜日の朝、目を覚ますとベッドの下にゴローニャがいます。私を見上げていました。床からベッドに飛び上がるのができなかったんです。そんなに弱った体力で1階から階段を登って来たのかと思うと、今さらながら、そのけなげさに胸がつまります。
金曜日の夜、妻に
「もうダメだろう。このままゆっくり逝かせてあげようか」
と話し合っていたところ翌日の朝、天に召されました。
令和4年3月5日(土曜日)のことです。ちなみに3月5日は今年1月5日に天に召されたぴょんが来た日(平成19年(2007年))です。
令和4年(2022年)3月5日(土)
その夜は1階のリビングのソファーで一緒に寝ました。ゴローニャは水色の小さな猫用ベッドに寝させました。顔が隠れないように毛布をかけました。朝7時、眼を覚ますとゴローニャがベッドがはい出て30㎝ほど離れた場所に横たわっています。
身体に触れてみると冷たく感じました。「死んでしまったか」と思い、抱きかかえるとかすかに動きます。私のほうに顔を向けベッドに寝かせると、ほんの少し目を開けました。でもゴローニャのいつもの輝く瞳ではありません。弱々しいまなざしです。
あとわずかな命であるのがわかりましたので、彼女が冬の間お気に入りだった場所にベッドを移しました。サンルームの東南の角です。7時を過ぎていましたので、朝日が差し込んでいます。いたたまれない気持ちになり、外にでてあてもなく1時間ほど歩きました。
8時頃家に戻りました。
もう息は絶えていました。
ぴょんに続いて天に召される直前まで見届けることになってしまいました。思い返せば、ミーとチャピは入院中に息を引き取り、前のチャピはこつ然といなくなってしまったわけで、死ぬ直前の弱った姿は知りません。
死ぬ直前の弱った姿を見たことは良かったのかどうかわかりません。悲しみが深くなるだけかもしれません。
享年20歳 大往生だと思います。
同じ屋根の下で暮らしたのは1年と3か月でした。
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